訪問介護の窃盗疑惑対策

~ヘルパーが盗んだと言われたら~

1 契約時に説明を

 窃盗という問題に関しては、問題を予防する手段としてできることは「万が一にも窃盗をする気が起きない環境をつくる」ことです。
 通常の状況であれば行動しないと考えていても、その時の状況や追い込まれた精神状態で、自分しかいない部屋で目の前に札束があれば、「一枚くらい抜いても分からない」という誘惑に負け、つい手を出してしまうかもしれません。たとえば、ダイエット中に甘いものを食べてしまう、ショッピング中についつい買い物をしすぎてしまうなど誰しも経験があることだと思います。それと同じことで誘惑に加えて切羽詰まった状況が加われば、その延長線上に窃盗といったことも考えられるのです。

 人間はとても弱い生き物ということを各々が自覚する必要があります。

  

 その万が一にもの事態を起こさないためにも部屋の中をそのような危険な環境にしないよう、契約時にご利用者にお願いしていく必要があります。

 

2 契約段階でのご利用者への説明の仕方

 「君子は瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」

 上記の故事成語は、瓜(うり)畑で、わざわざしゃがんで履き物を直すようなことをすれば瓜を盗んでいると疑われるし、李(すもも)の木の下で冠をかぶり直せば、これを盗んでいると疑われてもおかしくない。だから君子(賢い人)はそのような紛らわしいことはしないという意味です。

 

 訪問介護の現場は、正に瓜畑、李の果樹園だと思われます。金銭や価値のある物品以外にも、ティッシュペーパーや洗剤等の日用品などからペンや紙などの文房具など少しずつ盗んでしまおうと思えばできてしまうもので溢れています。そのような環境を、少しでも間違いの起きないものとすべく、全ての物の管理は困難であるにせよ、せめて現金の管理だけはしっかりして頂く様に協力を求めることが重要となります。

 

説明例

「現金や宝石類などの貴重品は厳重に決められた場所に保管頂き、紛失や盗難の疑いが生じない様な環境づくりにご協力をお願い致します。当然のことながらヘルパーが盗みを行うといったことはありませんが、万が一の場合においてお互いに嫌な思いをしないために、貴重品の管理はご自身でしっかりと行って頂きたいと思います。」

  

 

3 ご利用者を信じるか、ヘルパーを信じるか。

 実際に窃盗事件が起きた場合、事業所としてどう対応すべきでしょうか。

 ご利用者が「ヘルパーに現金を盗まれた」等と訴えられたとして、そのヘルパーの事業所のリアクションとして次の選択肢が考えられます。

 

A 「ご利用者から盗むなんてありえない。警察に突き出す。」とヘルパーを警察に突き出す

 B 「うちのヘルパーに限ってそんなことするはずがありません。」とご利用者に対峙する

 C 「詳しい事情が分からないので、当人に聞いてみます。」と場を収め、ヘルパーから話を聞く

  

 おそらく圧倒的多数の方はCを選ばれることでしょう。
 もし、Aの場合は逆にヘルパーから盗みを認めているならばいざ知らず、否定をしている場合などは、反撃されることになります。また、Bの態度を取ればご利用者は保険者に事業所のクレームとして通報することでしょう。

 問題はヘルパーから事情を聴いたその先です。

 窃盗が事実だった場合

刑事罰
 
ヘルパーが、もし本当に盗みを働いていたとして、正直に打ち明けてくれれば話は早いです。何よりも早急に、ご利用者のお宅に伺い謝罪と弁償を行いましょう。
 なおその場合、刑事手続き上の窃盗罪が成立いますので、刑罰が課されることとなります。ただし、現実問題としては、裁判まで行い処理するとは限りません。
 窃盗のような事件では、被害弁償が重視され、金銭で弁償し被害者が謝罪を受け入れている場合は、悪質性や被害額、再犯等の内容を考慮して、判断されることもあるようです。
 何よりまずは被害者を訪ね誠心誠意謝罪し、弁償を行いましょう。その際、警察だけはご勘弁ください等と自分から懇願してはいけません。謝罪の気持ちは本物であったとしても保身と受け取られてしまい、大抵の場合逆効果になります。

 なお、警察に通報しないことを条件に被害額以上の金品の要求や行為の要求をされた場合は、逆に恐喝罪や強要罪が成立する可能性がありますので、その際はご利用者の要求には応じずこちらから警察に相談しましょう。
 話が進むと、自然と「警察に届けるか否か」という話になるでしょうから、そのときにご利用者が何も言わなければ警察にも申し出る意思表明します。ここで決して逃れるような流れに持っていくことは避けるべきです。謝罪の時と同様に保身と受け取られ、纏まりかけていた話もなくなる可能性があります。また、法人としてはコンプライアンス保身に走るのではなく厳罰に対応するべきといえます。
 仮に謝罪の受け入れをしていなかったとしても、悪質な犯行であったり再犯であるなどの事情がある場合を除き、被害者が弁償金を受け取っていれば、ヘルパーの逮捕の可能性は低下するものと考えられます。刑罰の軽減を図る意味合いでも、弁償を済ませておくことは大切になってきます。 

 

⑵民事責任

  ご利用者の好意により刑事手続きを回避することができたとしても当然ながら民事上の責任は免れるものではありません。民事責任は、ほぼ被害額の弁償とイコールといえます。
 ご利用者の中には、精神的ショックを受けた分慰謝料を請求するという人もいるかもしれませんので、損害額=弁償とならないケースもあることも念頭に考えましょう。ただし、日本の裁判所はそう簡単に慰謝料を認定しない傾向があるので、純粋な窃盗事件で裁判でも要求が認められるかは難しいところです。

 また、例えばヘルパーがご利用者宅から50万円を盗んだケースとして、謝罪には行ったが、盗んだお金は既に全部使ってしまっていた場合において、雇用主には、使用者責任があり被用者が第三者に与えた損害を使用者として弁償する義務があります。(民法第715条)
 ご利用者にとってヘルパーのやったこと=雇い主である法人の責任となるのです。ただし、法人が弁償を済ませたからといってヘルパー自身の責任がなくなったというわけではありません。窃盗のように被用者に全責任がある場合は、肩代わりした分を全額ヘルパーに請求することとなります。

  

決定的な証拠がなく、真偽が不明な場合
 ご利用者・ご家族が部屋にカメラを仕掛け、盗みの決定的瞬間を録画していれば、法人又は事業所としても判断は容易であり、基本的には警察の捜査結果を待つことになります。
 しかし現実にはそのようなことは少なく、ご利用者が盗まれたと言い張っているだけ(物取られ妄想)の場合の方が多いことでしょう。
 そのような場合、担当ヘルパーを呼び出して状況を聞くことになりますが、担当ヘルパーが否定した場合、何を信じればいいか分からなくなってきます。また、その状況が続くとご利用者、ヘルパー双方からの信用を失いかねない状況となってしまいます。
 そういった場合では、「疑わしきは罰せず」という大原則をもとに行動を行っていきます。日本の刑事裁判においては、検察官が被告人の罪を法廷で立証する仕組(検察の立証責任)となっており「疑わしい」というレベルでは裁判官は罪を認定せず、ほぼ間違いなくやったという心証が得られてはじめて刑罰を科すことができるという原則となります。
 そしてこの原則は、民間でも等しく通用されます。窃盗をしたかどうかは、まずご利用者側に立証責任があることになります。実際には、被害届を出した場合に捜査機関が立証することになるのですが、警察のような捜査権限がない者からの証拠提出の要請は、たとえ被害者であってもすることはできないのです。
 また、当たり前ですがヘルパーの上司は飽くまで上司に過ぎず、同様に捜査権限はありません。

 間違ってもヘルパーがやった前提の発言をしてはいけません。トラブルの火を煽ることになります。

  

 

4 事業所はどう動くべきか。

 捜査権限がない以上、法人又は事業所としては何もできないということになりそうですが、合理的な疑いを差し挟む余地がないかを調べることはできます。
 真偽が不明な状況なため法人又は事業所としては、中立公正な観点から検証し、被害者=ご利用者側の主張につき、問題とされている日のご利用者宅でのヘルパーの行動を一から振り返り、時系列に沿って整理する等の窃盗の可否の検討や主張の齟齬や矛盾を見つけ出す作業を行います。

 大げさなことをするわけではなく、通常の介護事故トラブル後の対応方法(事故対応)を行っていきます。

  

ご利用者に対して
 
「詳しい事情が分からないので、当人に聞いたうえで改めてお話をさせてください。」と伝え、調査を行ったうえで結果をお伝えする旨の説明を行います。ただし、最終の結論に至るまで長い期間をかけてしまうと不信感を増長させてしまうことになるため、調査に時間がかかると思われる場合は、短いスパンにおける経過の状況報告を行っていきます。

 

⑵ヘルパーに対して
 
「法人(又は事業所)としてはもちろんあなたを信用しています。ほぼ間違いなくあなたがやったということをご利用者側が証明しない限りあなたが法律上においても刑罰に問われることもありません。ただ、ご利用者やご家族にとっても納得していない状況でもありますし、あなた自身にとっても尊厳にも関わることでもあります。また、法人(又は事務所)としても信用にかかってくることですので、皆が気持ちよく過ごすためにも一度当日のことを振り返って検証してみましょう」といった一緒に解明していくスタンスを取ることで信用を失うことはなくなると考えられます。

  

 

5 名誉毀損に問うことは可能か。

 名誉毀損には、主張することは可能です。ただし、日本の裁判所で認められるハードルは相当高く、現実的ではないと言えるでしょう。
 上司としては、「どのような行動をするかはあなたの自由だから、一度弁護士のところに相談に行ってみてはどうか」等と助言を行う等に留めておくのが無難でしょう。弁護士としては、本件のようなケースで名誉毀損が成立することはまず考え難いと考えるはずです。

 

 

6 ご利用者への対応の仕方

 窃盗の事実があった場合は、上記で述べた通りであるが、窃盗の事実がないことが確実である場合又は真偽が不明の場合は、次のとおり説明を行うこととなります。

 

窃盗事実がないことが確実な場合
 調査の結果、窃盗の事実がないことが確実な場合は、説得的な論拠を示す形でご利用者側に整然と説明します。ただし、今後のご利用者様との関係や法人又は事業所のイメージを含め、強い口調やご利用者様を責める表現は避けるようにしましょう。最悪の場合、論拠として纏まっていても感情の部分で拗れる可能性が出てきます。

 

⑵真偽が不明の場合
 確実な論拠がない場合でも、「疑わしきは被告人の利益に」の前提のもと調査の結果、分かったことを伝え、かつ、これらの事実だけでヘルパーが本当に盗んだとは言い切れないと思う旨を告げます。
 この場合、今後の対処の仕方などついては、ご利用者側で考えて頂くこととなりますので、窃盗の事実があるとは言い切れない旨を伝えるに留めます。
 それでもご利用者が納得しない場合は、法人又は事業所としてすることも最早ないため、警察に駆け込む等の行動をしてもらう他ありません。ただし、関係機関等に根も葉もない噂や苦情等を繰り返す様であれば、流石に先程の名誉毀損が成立しうる状況に近づいていきます。場合によっては、弁護士を立て「あなたの行為は名誉毀損に当たります。直ちに中止してください」と警告することも検討する必要が出てくるものといえます。

 

 

7 さいごに

 ご利用者の勘違いや認知症等による物取られ妄想で被害がないことが一番ですが、もし実際に物がなくなっており、損害が発生している場合などは、身近な人による盗難だけと考えず、外部からの侵入など今後のご利用者の安全にも関わってくることにも発展してくるため、その時の疑われたといった感情だけにとらわれず広い視野を持って冷静な判断を心掛けることが大切になります。

2019年3月6日更新